日退教第13次沖縄交流団報告 ―続く「植民地的な状況」― 2024.12 |
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12月2日と3日、「日退教の沖縄交流団」に全国から14名で参加しました。 第一日目は、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の共同代表・高里鈴代さんの講演でした。23年12月の米兵による少女暴行事件が、沖縄県議会選挙が終わる6月まで日本政府により隠蔽され、沖縄の怒りが沸騰し、抗議行動が続けられていました。その後、12月22日には「米兵による性暴行事件に抗議し、基地撤去を求める」県民大会が大規模に県知事も出席して開催されたところです。 高里さんの講演「米軍基地と少女暴行事件」は、聞いていてショックでした。沖縄の米兵による女性暴行事件が繰り返されてきたことは知っていましたが、これほどひどいとは想像を超えるもので、沖縄の人々が置かれてきた過酷な状況を改めて知らされました。 沖縄の米兵の性暴力は、戦争末期沖縄に米軍54万人が上陸・占領した時から始まり、それが現在まで続いているのです。耳を疑ったのは、被害者が9か月の乳児・6歳の幼児などあらゆる年齢に及び、拉致、強姦、殺害、助けようとする家族も殺すということが繰り返されたのです。米軍の沖縄占領による無法状態は1972年まで続きましたが、復帰後も「日米地位協定」の下で、米軍には特権的な地位が保障され「植民地的な状況」(高里)が続いてきました。米軍の性犯罪がなくならないのは、米軍人が基地の中に逃げ込んでしまえば、多くは米国に帰って罪に問われないことが分かっているからです。性被害は、被害者が声を上げにくく、泣き寝入りや示談も多いのです。 沖縄には海兵隊の最大の基地があり、戦争になれば、先陣を切って殴りこむ部隊で、若い兵隊がいつ死ぬか分からない極限の精神状態に置かれ、沖縄の街に出てくるのです。構造的な性暴力と言われるゆえんです。「日米地位協定」と訳されていますが原文では「Statas of forces」であり、米軍(人)の特権的・治外法権的地位を定めたものです。地位協定の問題、属国日本政府の対応、沖縄の人々を馬鹿にした事実の隠蔽があり、基地問題に対する沖縄の人々の怒りと苦悩は、この性被害の問題に集中し象徴的に表れているのです。聞いていてショックでした。「性暴力は魂の殺人だ」ということが言われますが、里さんの講演を聞き、沖縄の人々の魂は繰り返し侵され殺されてきたのだと気づかされました。 二日目は、オスプレイが並ぶ普天間基地・嘉手納基地の視察、そして辺野古ゲート前での連帯の座り込み行動です。軟弱地盤の埋め立てが始められようとしていますが、そもそも完成不可能な工事で、これからどれだけの予算と年数を要するか分からないと言います。辺野古では沖縄の人々が、2014年から1日も休まず3803日目の座り込みを続けていました。沖縄の踊りのパフォーマンスもあり、私たちも元気に座り込み連帯してきました。11月には日教組・退女教が40人で来たということです。彼女らは、ごぼう抜きに対して腕を組んで固く離さず、頑として座り込みを続けたそうです。その武勇伝を辺野古の世話人の方がうれしそうに話してくれました。 沖縄を孤立させるな、ミサイル基地を許すな、沖縄を戦場にさせない!私たちこそ声をあげなければなりません。 次回、みんなで行きましょう! (高田良衛) ![]() |
「第6回福島学習の旅」 2024.11 |
11月10日から11日にかけて昨年に引き続き福島県退教の協力を得て福島県の被災地を訪れた。神奈川からは日退教副会長畠山さんと林の2名が参加。福島県教育会館での学習会では國分俊樹(元福島県教組委員長)さんと「むのたけじ地域・ジャーナリズム賞」受賞者である山ア健一(元福島県立高校社会科教諭)さんの講演を受講した。 國分氏は震災の翌年、郡山市で開かれた「原発いらない!! 3.11福島県民集会」(16000人参加)を開催するにあたり実行委員長の竹中柳一さんと共に尽力された方である。 國分さんは教育会館で被災されたが、生活は一変する。電気・水道・道路等ライフラインが寸断されガソリン不足が続く中、緊急重大事態にも拘らず、情報は「大本営発表」のみ、「原子力資料情報室」のネット配信が頼りだったとのこと。 教職員組合の組織としては 1.子どもと教職員の安全、被災教職員への対応を教育行政へ要請 2.原発・放射能・放射線情報の発信 3.郡山市教委に対し学校始業日を遅らせることを要請4月6日→4月11日に 4.県内教職員の勤務・労働条件に関する教育行政への申し入れ 5.被災地「フクシマ」の状況を全国発信 6.福島県平和フォーラムを中心とした集会の企画・運営 7.『放射能の危険と人権』明石書店20 12出版 日教組全国教研で「フクシマ」の食事情20 13を発表 以上、氏の震災後の主な活動を列挙したが筆舌に尽くし難い艱難辛苦を体験されたことは想像するに難くない。上記の竹中さんにはこの福島の旅で毎回案内をしていただきお世話になっているが、國分氏の講演で竹中さんはお母様を津波で亡くされていることを初めて知った。 山アさんの講演については紙面の都合で、会誌第42号(20 20 4. 17発行)の拙稿をご覧下さい。氏の講演は5年前にも受講したが、深刻な内容を時にはユーモアを交え軽妙に話されるので、自分が生徒に戻り授業を受けているような気持ちになった。 氏は @「無知」や「無関心」、「想像力のなさ」が様々な不幸を生むこと。 A人間は核物質や原子力発電を制御できないことが、3. 11の原発事故で分かった。地震・火山大国の日本で原発は危 険すぎる。知恵を出して代替エネルギーを考え、全原発を廃炉にすべきです。そもそも住民避難が前提の発電設備 =原発なんて変な話です。 B原発政策を推進してきた国も自民党も原子力ムラの推進者も東京電力も3. 11の福島原発事故について責任を取ら ず反省もしていない。原発再稼働や稼働期間の延長、新設や輸出などは正に狂気です。 と、話されていた。 ところが、福島県では原発事故からまもなく14年経つのに7市町村で避難指示が続き、2万6千人(県外2万・県内6千)が避難生活を送っている。にもかかわらず政府は12月、「原発依存度を可能な限り低減する」政策から原発再稼働・増設に舵を切った。「想像力の欠如」としか言いようがない。 福島の原発事故はまだ終わっていない。國分氏も山ア氏もデブリ取り出し=廃炉は不可能で、汚染水の流出を止めるには「石棺」にするしか方法がないのではと話されていた。 2日目は双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館、浪江町の震災遺構・請戸小学校・大堀相馬焼(20軒以上あった窯元)付近を見学・学習した。かつて山積みにされていたフレコンバッグはほとんど見ることはなかった。 福島のような原発事故は日本中どこにでも起き得る。その時どんなことが起きるかを再度学ばせていただいた旅であった。 (林純夫) |
日退教2024年度第30回組織活動交流集会報告 2024.10 |
10月11日に組織活動交流集会が開催されました。この集会は各県の県退教や高退教などの組織が日退教に集い、日ごろの組織活動などを報告する集会です。午前は主催者挨拶、来賓挨拶の後2題の基調報告が行われました。 @2024年度「組織現況調査」報告と基調 平野直比古(日退教組織部長) A大阪府退教リポート 青柳隆・脇本ちよみ「大阪府退教は何が変わったのか?」 〜役員全員男性から女性参画で〜 来賓の梶原貴(日本教職員組合中央執行委員長)さんは挨拶の中で、寺島実郎氏と対談された時、寺島氏が日退教について熱く語られていた様子を報告されました。普通の退職高齢者組織は親睦中心の組織が大半であり、数ある高齢者組織で護憲・平和・人権を柱にして多くの組織活動や学習などしている組織はほかにほとんどない。大いに日退教に期待をしている、とのご発言に心を強くされたそうです。日退教の各単会は「教え子を再び戦場に送らない!」を基本理念として掲げ、退職後もこの旗印の元に現・退一致で活動しています。神高教シニア運動に翻ると組織活動についてはどうか。運動方針は神高教の本部方針に沿いながら、年度始に総会を開き前年の総括と今年度の活動方針を確認、日ごろの活動の報告はシニア会報やホームページなどにより会員の方々に報告しています。 午後は2会場に分かれてそれぞれ7つのレポート、合計14本のレポートが出されました。中でも興味深いレポートは島根県退教の「能登半島地震は警告する! 迫る12月の島根原発2号機再稼働! 仮処分裁判で見えた島根原発の危険性と行政追随の司法」でした。原発の耐震性が志賀原発600ガル、プレハブメーカーの一般住宅の耐震基準が3000ガル以上と地盤の性質などで、単純に比較はできないものの数値だけ見ると愕然とさせられました。※ガルは地震の揺れの強さを表す加速度の単位で震度6強は約400ガル程度です。 (永井光夫) ![]() |
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